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北九州・直方市に位置するたかとり霊園は、直方・八幡西区・東区・田川・中間・飯塚などを中心とした1,700家族様に、30年以上に渡ってご利用いただいております。

歴史

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日本武尊と尺岳{はかりだけ}のイラスト

日本武尊と尺岳{はかりだけ}

 古墳時代はまた大和朝廷{やまとちょうてい}による国家統一の時代でもありました。そして国家統一にかかわる数々の神話が生まれた時代でもありました。

 その中でも、統一のために東奔西走{とうほんせいそう}した英雄、小碓命{おうすのみこと}(後の日本武尊{やまとたけるのみこと})の、雄々しくもまた悲劇的な物語が特に有名で、直方にも命{みこと}に関係のある伝説がいくつか残っています。

 第十二代景行{けいこう}天皇の御子小碓命は、父の命を受けて九州南部の熊襲{くまそ}を討つため九州に下ります。

 命{みこと}はまず黒崎に上陸、遠賀郡を通り、鞍手郡新延{にのぶ}、中山を経て植木に陣を構えました。そして植木の陣を引き拂うとき、陣跡に木を植えてゆきました。そこで、この地を植木と呼ぶようになったそうです。

 この話は福岡藩の学者加藤一純らが寛政{かんせい}年間に編纂{へんさん}した『筑前国続風土記{しょくふどき}附録』の中に、「植木村、御山{おやま}社。社家{しゃけ}の説に、日本武尊筑紫{つくし}に下り給ひし時、此地にいこはせたまひ、多く樹木を植さしめ給ふ。故に村の名を植木と呼ふ。」と書かれています。御山社は今もJR植木駅の直ぐ近くに御山神社として残っています。

 命はさらに遠賀川を渡り、尺岳{しゃくだけ}を経て、福智山に登りましたが、命と尺岳について、昭和十一年に佐々木滋寛が編んだ『筑前の伝説』の中に「頓野字{あざ}上頓野」に残る「尺岳の背競石{せいくらべいし}」の話として、「日本武尊が熊襲征討{せいとう}のために筑紫に下られた時、大渡川から遠賀郡杉森の地を経て尺岳に上られ、山上に聳える大石に凭って御身の丈を比べられたので、この山を『はかり岳{だけ}』といふやうになった。その時その大石は俄{にわか}に命{みこと}の御丈よりも一尺ばかり縮んで低くなったと云ひ、その背競石は高さ六尺位もあって尺岳神社の傍に残ってゐる。」とあります。

 命の威厳{いげん}に恐れ入って大石が縮んだのでしょう。

 背の高さをはかり比べたので「はかり岳」と呼ばれたのが、「はかり」から物差しを意味する尺と変わり、「しゃくのだけ」から「尺岳」と変化していったものと思われます。

 やがて、尺岳から福智山、英彦山を経て熊本へ、そして熊襲を討ってその武勇をうたわれ、日本武尊と呼ばれるようになったというのです。

 日本武尊にかかわる伝説は日本中に広く流布されており、国家統一時代のロマンを側面から支えるものとなっています。

■文

舌間信夫(したまのぶお)

1927年生まれ。明専(現・九州工業大学)を卒業して教職に入り、退職後は郷土史の研究と詩作に専念している。郷土史関係では、「直方むかしばなし」、「直方碑ものがたり」、「ふるさと直方人物史」、「直方歴史ものがたり」、「続直方歴史ものがたり」、「直方文芸史」、などを執筆。詩関係では、詩誌「新詩人」、「匈奴(ふんぬ)」を経て、現在、「匈奴の森」を主宰している。1989年、詩集「哀しみに満ちた村」で、福岡県詩人賞を受ける。1995年、詩集「湖の物語」を上梓。日本現代詩人会会員。九州文学同人。

■イラスト

故 赤星月人

1926年、高知県生まれ。1945年、徴兵、陸軍入隊。1951年、金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)日本画家卒、直方にて教職に就く。1957年、第11回二紀展初入選。1962年、渡米、シアトル市の美術学校留学、シアトルノースウェスト展でグランプリ受賞、その後渡欧、エジプト、東南アジア等外遊。1965年、帰国、鞍手高校講師となる。1967年、第21回二紀展、同人推挙、この後、チャリティ色紙展5回開催。2007年、赤星月人挿絵展を直方谷尾美術館にて開催。“市報のおがた”の舌間信夫氏の文章への挿絵(1978~2007年まで355回)の原画展。この個展の二ヵ月後、9月に81歳にて他界。

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