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歴史

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永満寺のスガラのイラスト

永満寺のスガラ

 直方市の永満寺地区に、江戸時代から伝わるスガラという虫送りの行事が残っています。

 虫送りは稲作に関係がある行事で、夏の夜、村人総出で、藁人形を担ぎ、松明{たいまつ}を燃やし、鐘や太鼓で囃{はや}しながら村の田圃{たんぼ}を回り、隣村との境まで行って、大声で「虫送った、虫送った」と言いながら藁人形を燃やす、という形のものが多いようです。上流の村で松明の火に虫を誘い集め、下流の隣村に送る、送られた村は、同じ形で次の村へ送る、というように順送りして海岸まで行くのです。

江戸時代、稲の害虫駆除{くじょ}の効果的な方法がなかった頃、一種の呪法{じゅほう}(まじない)として広く行われていましたが、今ではほとんど見ることが出来なくなりました。

 永満寺のスガラは七月の土用の丑{うし}の日の夜に行われます。その内容は、「出発前に、西福寺の僧侶が薬師{やくし}様に向ってお経をあげる。その後、若者組が指導をして、中若組が松明を束にし、火をともし、隊列をつくり、太鼓にあわせてスガラの唄をうたいながら村内を歩いてくだっていく。薬師堂から出発して、松明の火を振りまわしながら、群れ飛ぶ稲虫を追い払いつつ村境まで行列をする」というものです。スガラの唄は、「スガラのぼうだいしょ、虫ゃー山へー追いやぎい、シイーは川に流せ」というそうです。ところで永満寺のスガラの唄は、友野晃一郎氏によって採譜{さいふ}され、音符付の歌詞が、昭和六十三年の東京の柳原書店刊行の『日本のわらべ歌全集』に収録されています。この本では歌詞が、「すがらのぼうだいしょう、しい(虫)は川に流せ 牛は山に 追いあぎい」となっています。

 スガラは、昔はこの地方一円で行われていたもので、『赤池町史』にも、明治まであった上野地区のスガラが紹介されています。その歌詞は「菅原{すがわら}の菩提所{ぼだいしょ} 牛は山につなげ シイは川に流せ」となっています。

 このようにスガラの唄は、所によって歌詞が少しずつ違い、意味の不明な点もありますが、いずれも江戸時代の農民の悲痛な叫びを聞く思いがします。

 平成十一年の五月、奈良市で、全国の都市の行政関係者を集めて都市行政研究会が開かれましたが、そのアトラクションで、各地のわらべ歌が紹介され、永満寺のスガラの唄も、直方市のわらべ歌として演奏され、参加者に感銘を与えたということです。

■文

舌間信夫(したまのぶお)

1927年生まれ。明専(現・九州工業大学)を卒業して教職に入り、退職後は郷土史の研究と詩作に専念している。郷土史関係では、「直方むかしばなし」、「直方碑ものがたり」、「ふるさと直方人物史」、「直方歴史ものがたり」、「続直方歴史ものがたり」、「直方文芸史」、などを執筆。詩関係では、詩誌「新詩人」、「匈奴(ふんぬ)」を経て、現在、「匈奴の森」を主宰している。1989年、詩集「哀しみに満ちた村」で、福岡県詩人賞を受ける。1995年、詩集「湖の物語」を上梓。日本現代詩人会会員。九州文学同人。

■イラスト

故 赤星月人

1926年、高知県生まれ。1945年、徴兵、陸軍入隊。1951年、金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)日本画家卒、直方にて教職に就く。1957年、第11回二紀展初入選。1962年、渡米、シアトル市の美術学校留学、シアトルノースウェスト展でグランプリ受賞、その後渡欧、エジプト、東南アジア等外遊。1965年、帰国、鞍手高校講師となる。1967年、第21回二紀展、同人推挙、この後、チャリティ色紙展5回開催。2007年、赤星月人挿絵展を直方谷尾美術館にて開催。“市報のおがた”の舌間信夫氏の文章への挿絵(1978~2007年まで355回)の原画展。この個展の二ヵ月後、9月に81歳にて他界。

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